年度 |
順位 |
選手名 |
守備 |
所属 |
プロ入り後 |
通算
貢献度 |
---|---|---|---|---|---|---|
1995 |
1 |
高木大成 | 捕手 |
慶応大 | 打撃面も捕手としての能力もリーダーシップも高校時代 から注目だった選手。 大学卒業時にライオンズを逆指名しての入団。 正捕手に伊東が健在の時期で、その打力を活かすため に一塁手をはじめとしてコンバートを繰り返した。 打では中軸を打ったが相次ぐ故障のため、惜しまれなが らも2005年に引退。 |
265 |
2 |
大友進 | 投手 |
東京ガス |
俊足好守を活かして2年目から外野手のレギュラーとな
って活躍。 試合中の怪我が尾を引いて以降は出場が激減し、 2004年オフにトレードで中日へ移籍。 |
213 |
|
3 |
小石澤浄孝 | 投手 | 盛岡大附高 | 高卒で将来を期待され、2軍での実績を積んでから 1998年に1軍登板。 しかし、この年の3試合のみの登板で1999年オフに戦 力外。 |
4 |
|
4 |
岸川雄二 | 内野手 | 神奈川大 | 1軍出場機会のないまま、2000年に戦力外。 | 0 |
|
5 |
原井和也 | 内野手 | 松下電器 | 打力面でもともと非力な面があったものの、内野手として ユーティリティを発揮。 特に東尾監督時代にはスタメン起用も多く、1軍でコン スタントに出場を続けていた。 2003年に千葉ロッテに移籍。 |
82 |
(ドラフト前) | |
この年から1球団の最大指名選手が10名から8名へと制度が変更となった。
素質を買われた高校生の有力選手が比較的多かった年。注目は巨人か中日以外は進学と表明していたPL学園の福留孝介。それに続く野手評価は澤井良輔(銚子商)や原俊介(東海大相模)など。
大学生で注目を集めたのは、共に高校時代には甲子園でも活躍した高木大成(慶應大)、荒井修光(早稲田大)に加え、ヤクルト監督・野村克也の実子である野村克則(明治大)という東京6大学の3捕手。将来の正捕手候補を求めるライオンズを高木は逆指名。 社会人では仁志敏久(日本生命)が巨人を逆指名。 |
|
(ドラフト当日) | |
注目の福留には高校生としては清原を超える7球団の指名が競合。ライオンズは逆指名の高木を1位で指名。投手以外を1位で指名したのは1987年ドラフトの鈴木以来。捕手のドラフト1位指名は1984年の大久保以来となった。 |
|
(ドラフト後) | |
“ポスト伊東”としての守備面の期待もさることながら、その打撃力を早くから買われた高木は捕手から幾度かのコンバートを繰り返しつつ、クリーンアップを打つまでの存在に。しかし、怪我に泣かされ若くして引退。守備力の高さから中堅手に抜擢された大友も怪我に泣かされ、思うような活躍を継続できず。 怪我なく過ごせば、この2選手はライオンズで長く中心選手として活躍するに十分な実績があっただけに、惜しまれるドラフト世代。 |
年度 |
順位 |
選手名 |
守備 |
所属 |
プロ入り後 |
通算
貢献度 |
---|---|---|---|---|---|---|
1994 |
1 |
富岡久貴 | 投手 |
東京ガス | 速球派左腕として入団後から大いに期待されていた。 制球難を克服できずわずかな登板数のまま1998年に 金銭トレードで広島へ。 2000年シーズンから金銭トレードでライオンズに復帰。 しかし出場機会は少なく、2003年にトレードで横浜へ移 籍。 |
22 |
2 |
小関竜也 | 投手 |
国学院栃木高 |
プロ入り後、即外野手へ転向したのが功を奏す。
走攻守揃った活躍で新人王に輝く。 その後も上位を打つ好打者として優勝に貢献し、選手 会長も歴任。 本人のメジャー挑戦の意思を尊重し、2005年オフに自 由契約に。 |
303 |
|
3 |
西口文也 | 投手 | 立正大 | 1年目のアメリカ留学をきっかけに2年目からはローテー ションの柱として活躍。 松坂、涌井、岸と後輩投手が加わる中で一貫して先発 起用が続いている。 ライオンズ生え抜きとして200勝へ向けての活躍が続いて いる。 |
862 |
|
4 |
高木浩之 | 内野手 | 駒澤大 | 堅実な守備で下位の打順ながら二塁手のレギュラーと して活躍。 晩年は視力障害に悩まされ、それが原因で2008年に 引退。 |
228 |
|
5 |
寺本比呂文 | 投手 | 川崎製鉄神戸 | 「ポスト工藤」の期待もあって「47」を付けるが、肩痛に 見舞われるなどして出番が少なかった。 再起の1998年に1軍でプロ初勝利を挙げたが、目立っ た活躍もなく同年オフに戦力外。 |
21 |
|
6 |
山田和幸 | 内野手 | 早稲田大 | 大学時代は準硬の経験。 プロ入り後は内臓疾患による体調不良でわずか2年で 1軍出場ないまま退団。 |
0 |
(ドラフト前) | |
逆指名獲得の争いの結果、山内泰幸(日体大)は広島、河原純一(駒澤大)は巨人とそれぞれ逆指名へ。 指名の注目となったのは高校生の紀田彰一(横浜高)と嘉勢敏弘(北陽高)。嘉勢は投手としても野手としても注目。 |
|
(ドラフト当日) | |
1位指名は紀田と嘉勢に指名が重複。ライオンズは1位で社会人の富岡を指名。4位でも社会人左腕の寺本を指名。チーム事情もあり、即戦力としての左腕の指名が続くこととなった。 投手の1位指名はこれで7年連続。 |
|
(ドラフト後) | |
左腕2人は期待ほどの活躍がなかった一方で、プロ入り後野手転向させた小関は野手としてリーグでも久々の新人王を獲得。3位の西口は先発投手として長くチームのエースとして活躍するまでに成長。4位の高木もレギュラーとして活躍。 ドラフト前の評判に反し、投手・内野手・外野手としてそれぞれ大成した選手を獲得した“目利き”が結果を生んだドラフト。 |
年度 |
順位 |
選手名 |
守備 |
所属 |
プロ入り後 |
通算
貢献度 |
---|---|---|---|---|---|---|
1993 |
1 |
石井貴 | 投手 |
三菱重工横浜 | 逆指名で入団。中継ぎを経て先発へ定着し、投手陣 の精神的柱的な存在に。 右肩痛で苦しんだ後、ポストシーズンでの復活から驚異 的な活躍で日本シリーズMVPも獲得。 不振に陥った後にセットアッパーとして再度の復活をする も、持ち味であった球威が戻らず2007年に引退。 |
443 |
2 |
山田潤 | 内野手 |
朝日大 |
右の長距離砲として期待されるも1軍出場はわずか8
打席。 1998年オフにトレードで広島へ移籍。 |
6 |
|
3 |
松井和夫 | 投手 | PL学園高 | 入団後に登録名を「稼頭央」に。 高い身体能力を早くから買われて、プロ入り後は内野 手へ、スイッチヒッターへ転向。 1軍2シーズン目で早くも遊撃手のレギュラーに定着。 背番号「7」も受け継いだ。 強肩を活かした守備、盗塁王や最多安打のタイトルの 他、シーズン30本塁打も複数回記録。 メジャーへ近い男として日本を代表する選手となった 2003年オフにFA権を行使してメッツへ移籍。 |
607 |
|
4 |
尾山敦 | 投手 | 住友金属 | 社会人時代に実績を残しての入団も、右肩痛などによ り1軍登板ないまま1997年退団。 |
0 |
|
5 |
白鳥浩徳 | 投手 | 住友金属 | 入団1年目から1軍登板を果たすも、通算8試合の登 板で勝ち負けの記録も付かず退団。 |
10 |
(ドラフト前) | |
この年のドラフトから社会人・大学生の逆指名制度が発足。ドラフト当日までに有力選手の希望通りの入団がほぼ約束される形のドラフト制度が始まった。指名選手よりも、逆指名に至るまでの各球団の争奪戦が話題の中心となった。話題の注目となった小久保裕紀(青山学院大)はダイエーを逆指名。河原隆一(関東学院大)は横浜を逆指名。 |
|
(ドラフト当日) | |
指名の競合も発生せず、ライオンズは1位で社会人の石井、2位で大学生の山田を獲得。3位で桑田2世とも呼ばれていた高校生の松井を指名。 以下、他球団と同様に指名選手が前年までと比較して大きく減り、この年は投手中心の指名。 |
|
(ドラフト後) | |
石井はライオンズ一筋で黄金期後期以降の投手陣を引っ張るリーダー的な存在として活躍。高校時代は投手だった松井はプロ入り後に野手へコンバートし、さらにスイッチヒッターとしての育成を経て、持ち前の身体能力を活かした日本を代表する遊撃手へと成長。 即戦力、育成の両面で実りの多かったドラフト。 |
年度 |
順位 |
選手名 |
守備 |
所属 |
プロ入り後 |
通算
貢献度 |
---|---|---|---|---|---|---|
1992 |
1 |
杉山賢人 | 投手 |
東芝 | オリンピック代表に選ばれるなどの実績を買われて即戦 力に。 鹿取・潮崎とともに「サンフィレッチェ」と呼ばれ、要所での 中継ぎ起用に応える。 1年目にリーグ最多登板し新人王も獲得。 しかし以後伸び悩み、1999年シーズン途中ににトレード で阪神へ移籍。 |
208 |
2 |
前田勝宏 | 投手 |
プリンスホテル |
剛速球を武器に1年目から期待が大きかったが、入団
からの3年で先発はわずか1回、記録も2敗のみ。 1995年オフにアメリカ挑戦を直訴し、退団。 |
21 |
|
3 |
豊田清 | 投手 | 同朋大 | 入団4年目から先発の一角として定着し、2度の2桁勝 利も達成。 その後、クローザーへ配置転換となり最優秀救援のタイ トルを2年連続で獲得するなど大成した。 成績に陰りが見えてきた2005年オフに獲得したFA権を 行使して巨人へ移籍。 |
461 |
|
4 |
黒田哲史 | 内野手 | 村野工高 | 守備力を買われ、主に守備要員としての出場が続い た。 2002年からトレードで巨人へ移籍。 2006年オフに無償トレードで古巣復帰を果たしたが、ラ イオンズでの1軍出場はないまま2007年に引退。 |
28 |
|
5 |
坂本竜一 | 投手 | 日大鶴ヶ丘高 | 高卒で入団後から6年在籍も、1軍登板機会のないま ま1998年に退団。 |
0 |
|
6 |
田原晃司 | 捕手 | 泉州高 | 9年目に1軍初出場した遅咲きの選手。 伊東の後継が定まらない時期に守備固めでの起用に 応えた。 2008年に戦力外。 |
50 |
|
7 |
石井伸幸 | 投手 | 藤枝明誠高 | 高卒で入団もわずか3シーズンのみの在籍で、1軍登 板機会のないまま1995年に退団。 |
0 |
(ドラフト前) | |
この年のドラフト候補の中心はバルセロナ五輪の日本代表メンバー。特に投手陣で伊藤智仁(三菱自動車京都)や小桧山雅仁(日本石油)、杉山賢人(東芝)など。 高校生では清原以来の怪物と言われた松井秀喜(星稜高)に人気が集中。 その他話題性としては、2年前のドラフト1位指名を拒否して社会人へ進んでいた小池秀郎(松下電器)。 |
|
(ドラフト当日) | |
松井には4球団、伊藤には3球団の指名がそれぞれ重複。ライオンズは単独で杉山を1位指名。2位でも即戦力候補として社会人から前田を指名。2年連続でドラフト1・2位で投手を指名した。 |
|
(ドラフト後) | |
杉山は即戦力として黄金時代の投手陣を更に盤石にするポジションを得て活躍。3位指名の豊田が大卒で遅咲きながら頭角を現し、黄金時代後期以降の投手陣にあって長く活躍。 投手の補強としては成功年と言える一方で、この年も高校生選手の育成で結果が残せなかった。 |
年度 |
順位 |
選手名 |
守備 |
所属 |
プロ入り後 |
通算
貢献度 |
---|---|---|---|---|---|---|
1991 |
1 |
竹下潤 | 投手 |
駒沢大 | 左腕不足のチーム事情もあり、先発や中継ぎで役割の 固定なく毎年1軍登録をされる。 あまり目立った活躍はできず、2003年に引退。 |
161 |
2 |
新谷博 | 投手 |
日本生命 |
高校時代はヤクルトのドラフト指名を拒否。
社会人時代の実績を買われて即戦力としてのプロ入 り。 先発や中継ぎで安定感のある投球で成績を残した。 遅いプロ入りながら3年連続2桁勝利などあり、6年で1 億円プレーヤーに。 1999年オフに戦力外となり、日本ハムに入団。 |
326 |
|
3 |
熊澤当緒琉 | 外野手 | 所沢商高 | 地元・所沢の長距離砲として期待の入団も、1軍出場 のないまま1998年に引退。 |
0 |
|
4 |
松田和哉 | 投手 | 長崎南山高 | 1軍出場機会のないまま、1999年に引退。 | 0 |
|
5 |
神野信也 | 投手 | 新居浜商高 | 下位指名ながら素質を買われての入団も、1軍登板な いまま1996年に退団。 |
0 |
|
6 |
千原淳弘 | 投手 | 日高高中津分校 | 先輩の垣内に続く分校出身の選手としての話題はあっ たが、1軍登板なく1997年に引退。 |
0 |
|
7 |
渡辺孝男 | 捕手 | 札幌篠路高 | 2軍では主力として定着したものの、1軍捕手陣の壁は 厚く、1軍では守備のみで4試合の出場だけ。 2000年にライオンズを戦力外。 |
17 |
|
8 |
日月哲史 | 外野手 | 西武練習生 | 練習生時代に投手から外野手となって入団。 1軍出場なく、在籍わずか1年で引退。 |
0 |
|
9 |
蒲谷和茂 | 投手 | 西武練習生 | 高校卒業時に横浜大洋にドラフト3位指名されるなど 素質を評価されたある選手。 その後の故障などで社会人から練習生を経由しての入 団。 1軍出場なく、在籍1年で引退。 |
0 |
(ドラフト前) | |
このドラフトから1球団当たりの最大指名人数が10名に拡張され、ドラフト外での入団が抑止されることとなった。また、事前にプロ入り拒否を表明した選手については指名しない申し合わせも適用された。 ドラフト前の下馬評では大学生に有力選手が集まった。投手では若田部健一(駒澤大)が筆頭格。その他には斎藤隆(東北福祉大)や高村祐(法政大)など。野手では田口壮(関西学院大)など。 高校生には夏の甲子園優勝チームの4番・萩原誠(大阪桐蔭高)が中心。その他は投手が多く、甲子園組では谷口功一(天理高)、上田佳範(松商学園高)、甲子園未出場ながら評判だったのは石井一久(東京学館浦安高)。 |
|
(ドラフト当日) | |
ライオンズが1位指名した若田部には4球団が競合。抽選の結果、ダイエーが交渉権を獲得。ライオンズは外れ1位で若田部と同じ東都6大学の左腕・竹下を指名。 2位指名の徳本政敬(木本高)も抽選外れとなり、社会人の新谷を指名。以下、高校生と練習生を指名。 |
|
(ドラフト後) | |
竹下は貴重な左腕で先発もできることから、役割を固定されず。新谷は即戦力の実力派として、黄金時代にあっても大舞台でも活躍。それ以下の指名選手は1軍出場が果たせず、指名選手が増えた初年度としては育成の結果を残せなかったドラフト。 |