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ライオンズが好き!


埼玉西武ライオンズが好きなだけで作ったページです。

ここでは、

埼玉西武ライオンズについて、趣味だけでさまざまな角度からの情報を掲載していきます。


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■ ドラフト年度別一覧 (1986/1987/1988/1989/1990)  

過去分の一覧は5年ごとに区切ってありますので、各年度の詳細はページ下のINDEXから年代を選択してください。
年度
順位
選手名
守備
所属
プロ入り後
通算
貢献度

1990

1
長見賢司
投手
伊丹西高 190cm超の長身から「渡辺久信2世」の期待もあった。
投手として出場機会のないまま野手転向をするも、ライ
オンズでは1軍登録がないまま。

1997年にトレードで横浜へ移籍。
0
2
奈良原浩
内野手
青山学院大
入団時から守備力に定評があり、守備固めなどで出場
機会を徐々に増やす。
田辺・松井稼頭央といったレギュラー陣の陰で二塁手や
遊撃手として1軍に定着。
1997年オフにトレードで日本ハムへ移籍。
128
3
犬伏稔昌 内野手 近大付高 センバツ優勝の実績を引っ提げての入団も捕手としては
1軍出場チャンスに恵まれなかった。
10年目のシーズンにプロ初本塁打を放ちキッカケを掴
み、指名打者や対左投手要員として1軍定着した
苦労人。
2005年オフに引退。
24
4
親富祖弘也 捕手 宜野湾高 身体能力、特に俊足で定評があったが、打撃面の非力
さが補えず、1軍出場ないまま1996年に引退。
0
5
内山智之 投手 大阪経法大 無名の下位指名入団ながら、際立った速球で登板機
会を得た。
1993年オフにダイエーとの世紀の3対3トレードで移籍。
58


(ドラフト前)

 ドラフト前の注目の筆頭株は小池秀郎(亜細亜大)。打者では甲子園で長打を連発して知名度を上げた内之倉隆志(鹿児島実業高)と、前年のドラフトでの指名を拒否して浪人していた元木大介(上宮高卒)。



(ドラフト当日)

 小池には前年と同じく、8球団の指名が重複。在京球団としてライオンズも小池の希望球団の1つではあったが、ライオンズは小池を指名せず。小池は交渉権を獲得したロッテの指名を拒否して社会人へ。
 ライオンズは単独1位で高校生投手の長見を指名。渡辺久信以来の高校生投手のドラフト1位指名となり、体格も似ていたことから渡辺2世の期待が持たれた。



(ドラフト後)

 1位指名の長見はライオンズでは日の目を見ず。2位の奈良原は黄金時代のライオンズにあって、守備力で出場機会を獲得。内野手として久々の生え抜きでのレギュラー定着へ繋がった。
 無名ながら6位入団の内山は速球を武器に潜在能力を買われ、3対3トレードでは当時の主力級と共に移籍。


年度
順位
選手名
守備
所属
プロ入り後
通算
貢献度

1989

1
潮崎哲也
投手
松下電器 新人王を獲得した野茂・与田らオリンピック代表と同
様、入団1年目から開幕1軍入り。魔球と言われ
たシンカーを武器に8連続奪三振を記録するなど即戦
力として活躍し、その年のペナント&日本シリー
ズの胴上げ投手となった。
以降も先発から抑えまでフル回転での活躍をし、2004
年に引退。
635
2
鈴木哲
投手
熊谷組
アマチュア時代から速球に定評があり、1年目から先発
や中継ぎとして登板機会があった。
しかし、制球力の不安と、故障などもあって安定した活
躍ができないまま1993年オフにトレードで広島へ
移籍。
金銭トレードで1996年シーズンからライオンズに復帰し
たが同年オフに引退。
48
3
大塚孝二 外野手 東北福祉大 途中から「大塚光二」と登録名を変更。
層が厚い外野陣の中でレギュラー獲得まではいかなかっ
たが、ハイレベルな守備と走塁で貴重な戦力と
して長く活躍。日本シリーズでは打撃面での貢献が際
立った。
2001年を以て引退。
82
4
宮地克彦 投手 尽誠学園高 1年目からオープン戦で成績を残して開幕1軍に入るな
ど期待されたが、投手として大成せず外野手へコンバー
ト。

同タイプの選手が多い中でレギュラー定着とならなかっ
た。

2002年は3番を打つなどシーズン通しての活躍でリーグ
優勝に貢献。

しかし、翌年オフに戦力外となりダイエーへテスト入団。
52
5
佐伯秀喜 内野手 国学院久我山高 1年目シーズンの後半に1軍出場を果たし、初打席初
安打を本塁打で飾った。
2年目から若い背番号に変わるなど期待を持たれた選
手だったが、その後は1軍出場なく1998年に引
退。
1
6
北原泰二 投手 川口工高 サイドスローへ投球フォームを変更した以降、数試合の
みの1軍登板で1995年オフにヤクルトへトレード
移籍。
5


(ドラフト前)

  前年に続き、ソウル五輪代表メンバーが即戦力として話題となった。その筆頭格が全日本のエースとして奇抜なフォームで活躍した野茂英雄(新日鉄堺)。野茂と共にアマ最強と言われたキューバ代表を抑えた与田剛(NTT東京)、潮崎哲也(松下電器)などの投手陣と、それをリードした古田敦也(トヨタ自動車)なども。
 大学生にも東京6大学の大森剛(慶應義塾大)や葛西稔(法政大)、東瀬耕太郎(明治大)、小宮山悟(早稲田大)などが有力。
 高校生では甲子園で実力・人気共に高かった元木大介(上宮高)が中心。他にも夏優勝投手の吉岡雄二(帝京高)や麦倉洋一(佐野日大高
)などレベルの高い選手が揃った。



(ドラフト当日)

 注目の野茂にはドラフト史上最多の8球団の指名が集中した。ライオンズは潮崎を単独1位指名。上位指名で即戦力の投手・外野手を、下位指名ではいずれも将来性を見込んで高校生を指名。



(ドラフト後)

 黄金時代の厚い選手層を一層厚くしたような顔ぶれ。
 潮崎は野茂ほかタイトルホルダーが並ぶ同期投手達にひけをとらず、チームの優勝に対して貢献度は絶大。黄金期に遅れて現れた絶対的クローザーとして活躍した。
 大塚や宮地もライオンズらしい俊足・強肩を持ち合わせた外野手として、時にレギュラーとして、時にベンチ要員として活躍。
 ライオンズ黄金期の後半に掛けての貢献は長く、大きい。


年度
順位
選手名
守備
所属
プロ入り後
通算
貢献度

1988

1
渡辺智男
投手
NTT四国 アマチュア時代の肘の故障を承知しながら強行指名した
形での入団。東尾の「21」を継承させるなど
球団の期待は大きかった。
それに応えるように入団から3年連続で2桁勝利を挙
げ、日本シリーズで活躍。
しかし、右肘の故障が再発。登板のなかった1993年オ
フにダイエーとの世紀の3対3のトレードで移籍。
1997年オフの金銭トレードでライオンズに復帰を果たす
も、そのまま1軍登板なく1998年オフに引退。
180
2
石井丈裕
投手
プリンスホテル
2位指名ながら強行指名ということもあり1位指名と同
条件での入団。
期待の割に出遅れたが、パームボールを武器に頭角を
現し、最高勝率のほかMVP、シリーズMVP、
沢村賞を獲得するなど、ライオンズのエース格となった。
その後相次ぐ故障により精彩を欠き、1997年オフにトレ
ードで日本ハムへ移籍。
400
3
垣内哲也 捕手 日高高中津分校 プロ初の分校出身選手としての話題性のほか、清原に
迫る右の長距離打者としての素質を早くから
買われていた。
打力を活かすために外野手へコンバートされ、1軍に定
着。
安定感は無かったが、2桁本塁打を複数回記録するな
ど主軸の一角として活躍。
2002年オフにトレードでロッテに移籍。
256
4
青野信二 投手 佐伯豊南高 プロ入り後すぐに「安藤」に改姓し、野手へコンバート。
2軍暮らしが長い中、主に代打として1軍出場し、1999
年に退団。
17
5
小久保浩樹 外野手 泉尾高 野手史上初の「両投」登録での話題の他、長打力・強
肩の素質もあったが、1軍出場ないまま
1992年に引退。
0


(ドラフト前)

 ソウル五輪代表メンバーを軸に社会人に即戦力として有力な選手が多数。エース格だった石井丈裕(プリンスホテル)は事前にプロ入り拒否を表明。野手ではともに主力だった中島輝士(プリンスホテル)や野村謙二郎(駒沢大)など。
 高校生では夏準優勝の立役者であったエース・前田幸長と九州のバースと呼ばれた4番・山之内健一(ともに福岡第一高)が人気。他に谷繁元信(江の川高)や川崎憲次郎(津久見高)など。



(ドラフト当日)

 1位指名の重複は最多でも2球団と、各球団の指名がばらけた中で、ライオンズはドラフト直前に右ひじ手術をしてプロ入り拒否宣言していた渡辺を指名。同じく2位でもプロ入り拒否姿勢であった石井を単独で指名。渡辺の手術担当医やプリンスホテルがライオンズに“近い”存在であるとして“密約説”が流れるなど、ライオンズに批判が集中した指名結果となった。
 3位指名では川名慎一(鹿児島商工高)の重複指名による抽選に敗れ、垣内を指名。



(ドラフト後)

 他球団との競合を避けるライオンズのドラフト手腕の真骨頂を見せ、その成果を十分に発揮したドラフト1・2コンビ。渡辺・石井は渡辺久・工藤に続くエース級として黄金時代を継承し、リーグ屈指の投手陣を形成した。
 垣内は遅れてきた大砲として、ポスト清原時代の主軸を担った。
 1軍での貢献度が高い選手が生まれた年。


年度
順位
選手名
守備
所属
プロ入り後
通算
貢献度

1987

1
鈴木健
内野手
浦和学院高 群を抜く高校通算本塁打数で注目されての入団。
早くからそのバッティングセンスは天才と言われたが、ライ
オンズ黄金期にあっては出場機会に恵まれない
時期が続いた。
黄金期レギュラーが相次いで移籍した後は主軸として長
く活躍。
2002年オフに金銭トレードでヤクルトへ移籍。
472
2
上田浩明
内野手
北陽高
1軍に定着してからは主に守備固め要員ながら、毎年
多くの試合に出場。
2005年に引退。
108
3
城土大二郎 内野手 前九州産交 入団後にアメリカ留学などしたが、1軍出場機会のない
まま1992年に退団。
0
4
加世田美智久 投手 都城高 入団後は1991年にわずか1試合登板したのみで、
1992年に引退。
1
5
前田俊郎 内野手 新日鉄君津 地元・所沢の選手。社会人を経ての入団も1軍出場の
ないまま、1992年に引退。
0
6
上中吉成 外野手 泉州高 入団後、しばらく出場機会のないまま1995年にようやく
1軍出場。
しかし、この年の3打席のみで引退。
3


(ドラフト前)

 春夏連覇を成し遂げたPL学園の選手を中心に、高校生に逸材が多いと評判。野手では守備なら即戦力と言われた立浪和義、投手は3本柱のうちの右の橋本清と左の野村弘。
 その他にも高校生では通算本塁打数で知名度のあった鈴木健(浦和学院高)や、甲子園では速球派投手として鳴らした川島堅(東亜学園高)、伊良部秀輝(尽誠学園高)、上原晃(沖縄水産高)など。
 その他話題をさらったのは長嶋一茂(立教大)。



(ドラフト当日)

 川島には3球団、立浪と長嶋にはそれぞれ2球団の指名が重複。ライオンズは鈴木を単独指名。
 鈴木を含めて内野手を4名指名するなど、ライオンズ史上ではバランス的には偏ったドラフト。この年は、全球団の指名選手が誰も拒否せずに入団に至った貴重なドラフトでもある。



(ドラフト後)

 即戦力化した野手が揃った黄金期を迎えつつあった時期。1軍でそうそう機会を得ることは難しくなった時代に、高卒ながら鈴木・上田はバックアップ要員として健闘。
 鈴木はスタメン定着後は、ポスト清原世代のライオンズの主軸として活躍。


年度
順位
選手名
守備
所属
プロ入り後
通算
貢献度

1986

1
森山良二
投手
福岡大大濠卒 大学中退後にノーマークの中で1位指名入団。
しかし、1年目シーズンには日本シリーズ登板も果たし、
翌年には10勝をマークし新人王も獲得するな

ど活躍。
その後は故障による衰えが目立ち、1993年からトレード
で横浜移籍。
85
2
中村日出夫
内野手
三養基高
アメリカ留学に派遣されるなどしたが芽が出ず。
初めて1軍出場した1992年の4打席のみで翌年に森
山とともに横浜へトレード移籍。
3
3
小川宗直 投手 大仙 1年目から開幕1軍に抜擢されたが、思うように活躍が
できず。

1989年オフに中日へトレード移籍。
18
4
山本勝則 投手 川根高 1992年シーズンに初めて1軍で登板。
この年、2試合に先発するが勝ち負けつかず、その後は
1軍登板のないまま1994年に引退。
3
5
亀井猛斗 投手 群馬中央高 アメリカ留学を経て実績を積んで1軍登板を果たすが、
1988年の2試合のみ。

1993年に引退。
2
6
山尾伸一 外野手 都城西高 1軍出場機会のないまま、1990年に引退。
0


(ドラフト前)

 会議前から不作と言われた中での注目は近藤真一(享栄高)と阿波野秀幸(亜細亜大)の2人の左腕投手。



(ドラフト当日)

 予想通り、注目の近藤に5球団、阿波野に3球団の1位指名が重複した。その中でライオンズは「隠し玉」とし森山を単独1位で指名。以降の指名も投手が中心となり、高校生の指名が多数を占めるなど、即戦力としての期待は大きくなかった。
 この年は12球団が1位指名ですべて投手を指名する珍しいドラフトとなった。



(ドラフト後)

 ライオンズのドラフト戦略の中で伝統とも言われる「隠し玉」指名の象徴の1人が森山の指名。世代交代の流れの中で、投手陣もトレードなど含めて新しい面々に入れ替わる過渡期を迎えたが、森山ほかの投手陣に1軍での活躍機会は少なく、チームの成績と比較すれば低調なドラフト年。


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